おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
当社最寄り駅の阪神深江駅が、上下線ともに高架化されました(パチパチ)。1983年に都市計画決定がなされた後、40年弱でようやく完成した高架化ですが、高架化を記念して深江駅の歴史をビジュアルとともに追ってみたいと思います。
1905年に開業(写真なし)
1905年(明治38年)4月12日 、 阪神本線の開業と同時に深江駅も開業しました。色々探したんですが、開業当初の写真って見当たらないんですよね。仕方なく、開業から5年後の測図を見てみましょう。画像が荒くて申し訳ありませんが、右側に深江駅と深江の街が見えます。
(「2万正式図」大日本帝國陸地測量部,1911/10/30(明44))
1925年の深江駅。開業から20年
ネットで探してようやく見つかったのが1925年の深江駅。日本ではラジオ放送が開始した年でもあり、治安維持法が公布された年でもありますね。
(「生活文化史 資料館だより No.40」神戸深江生活文化資料館, 2012.3.31)
キャプションには「踏切西側に木造の駅舎、東側には踏切番の小屋があったと書かれています。おそらくこの写真、駅の北東側から南西にむけて撮影したものではないかと思われます。2019年現在の、同じアングルと思われる写真と見比べてみましょう。94年も経てばずいぶんと変わるものです。
この頃の地図を見てみましょう。駅の南東側が栄えていますね。駅の北側は一面の畑です。
(「旧1万地形図」大日本帝國陸地測量部,1929年(昭和4年)12月28日)
1950年頃の深江駅周辺。開業から45年ほど。
駅の写真はないのですが、戦後間もない頃の駅周辺の詳細な地図が、神戸深江生活文化資料館の資料館だよりにありました。区画そのものは2019年現在とほとんど変わっていません。神社、交番、郵便局、松尾酒店は現存していますね。
注目すべきなのが、深江駅前の区画に「加治(乙羽信子)」と書かれているところです。女優の乙羽信子さんは幼い頃養子となり、深江駅前にお住まいだったのです(ここから宝塚音楽学校へ進学した)。ここ、当社所在地なんですよね☺ 乙羽さんが育ったまさにその場所に、当社はあります。
神戸深江生活文化史料館 2011 『生活文化史』史料館だより39
1969年の深江駅。開業から64年。
高度成長期の深江駅です。この地下道は2019年12月時点で現存しています。ただし完全高架化され、地下の改札が不要になったことから、じきに取り壊されるのでしょうね。
https://fukae.info/ (神戸深江生活文化史料館の資料)
2019年現在の、同じアングルと思われる写真と見比べてみましょう。間口がちょっと狭くなっているような気がしますね。
1995年、阪神大震災直後の深江駅。開業から90年。
1995年1月17日、阪神淡路大震災が起きました。阪神電車は1月18日の時点で梅田から甲子園まで復旧。そして1月26日には梅田から青木まで復旧していますから、深江駅の被災はそれほど致命的なものではなかったのかもしれません。深江と震災といえば、阪神高速の倒壊のほうがインパクトがありましたから、駅の被災状況ってなかなか記録にも出てこないんですよね。
だからといって深江駅周辺が無傷だったわけではありません。下記の写真は深江北町4丁目付近。家が倒壊しています。現在の駅北側セブンイレブン付近から、山側を覗いているのだと思われます。
http://kobe117shinsai.jp/area/higashinada/a034.php
2019年現在の、同じアングルと思われる写真と見比べてみましょう。
2006年、高架工事着工前の深江駅。開業から101年。
懐かしいですね。ちょうど僕がこのあたりに引っ越してきたのが2006年ですが、もうこの景色は見ることができないと思うと感慨深いですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hanshin_Fukae_stn.jpg (2006年7月 Bakkai氏撮影)
2019年現在の、同じアングルと思われる写真と見比べてみましょう。高架ができると景色が一変するもんですね。